書籍「未解決のまま、共にいる」 特設サイト
- 2020年8月13日
- 読了時間: 29分
更新日:6 時間前
ギフトで成り立つ共同体から生まれた愛を活かすつながりの実践哲学
ー ウェル洋光台二十周年記念作品 著:戸谷浩隆 挿絵:山口萌菜 紹介文:辻信一 推薦:天外伺朗、他

サービスなし、役割なし、当番なし。 ギフトで成り立つ多国籍・多世代シェアハウス「ウェル洋光台」。 約35人が暮らすこの家での20年間の試行錯誤から、本書は生まれました。
テーマは「愛」と「つながり」。 エーリッヒ・フロムの愛の思想を起点に、エルダーシップ、ホールド、空気感など、これまで感覚として語られてきた共同体のスピリチュアリティを、実践の言葉として丁寧に解きほぐします。
人と人が未熟さや矛盾を抱えたまま共にいるための、愛を受け取る勇気と生きられた知恵を描いた一冊です。コミュニティづくりに関わる人はもちろん、家族や職場での関係に悩み、疲れたすべての人に寄り添い、読む人それぞれの歩みに、小さな気づきとあたたかな光が灯ることを願っています。
8月7日発売予定。予約注文受付中!
送料無料でお届けします。
書籍版:先行配布版、初版(どちらも2000円+税) 電子版:先行配布版+初版(セットで2000円+税)
本の詳細(目次と草稿の一部を公開中!)
発行日 先行配布版:2026年4月〜(部数限定)/初版:2026年立秋 発行予定
著者 戸谷浩隆
挿絵 山口萌菜
紹介文 辻信一
発行所 もちよる暮らし舎(特定商取引法に基づく表記)
サイズ A5版 244ページ(約13万5千字/挿絵21点)
※クリックすると拡大されます。スマートフォンの方はこちらから閲覧ください。
推薦のことば

シェアハウスでの暮らしに興味がある、コミュニティづくりのノウハウを知りたい、といった思いで、この本を手にとったあなたは、ちょっと驚くかもしれない。読み進めるうちに、自分が想像していたのより、もっと温かくて優しくて包容力に溢れた、大きい贈りものを手にしていることに気づくのではないか。
ー 辻信一(文化人類学者/明治学院大学名誉教授)
more
シェアハウスでの暮らしに興味がある、コミュニティづくりのノウハウを知りたい、といった思いで、この本を手にとったあなたは、ちょっと驚くかもしれない。そして最初のうちはもしかしたら少し戸惑いながら、それでも好奇心を刺激されて読み進めるうちに、自分が想像していたのより、もっと温かくて優しくて包容力に溢れた、大きい贈りものを手にしていることに気づくのではないか。
ぼくだってそうだ。ウェル洋光台の大家さんとしてしか著者の戸谷さんのことを知らなかったぼくは、あの微笑みや穏やかな物腰や、共に過ごした時間の心地よさの奥に広がっているとてつもなく豊かな世界にまでは、思い至らなかった。
心理学、哲学、文化人類学、経済学、宗教学、コミュニティ論、コミュニケーション論…。この本は、あなたがたぶんなかなか手を出せずにいたこうしたさまざまな分野にまたがり、それぞれにしっかり踏まえつつ、しかも、それらすべてを超えて、いまだ見たことも、聞いたこともなかった地平へとあなたを丁寧に導いていく。
そのテーマは「愛」、そして「共に生きるということ」。愛とか、共生とかという、これまで、多くの読者にとっておそらくあまり使い易くなかった言葉が、いつの間にか、自分のうちにしっかりと根を下ろしていることに気づく。そう言えば、とぼくは思うのだ。著者の戸谷さんと同様、ぼくにとっても大切な本、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』が英語で出版されてから七十年を経て、これまで翻訳語の域をなかなか出ることができないでいた「愛」という言葉を戸谷さんは実にナチュラルな日本語として使いこなしているではないか。
一つの鍵は、本全体を縦糸のように貫くキーワード、「余白」にある。例えば、著者によれば、余白とは「人生の意味に潜むわからなさ」を拒まず、むしろ受け入れること。そして、「わからなくても大丈夫だ」という気づきが深い信頼を育て、人々は互いに、「答えを急がずに共に留まることを学ぶ」のだという。人と人との「あいだ」に、そして、自分と自分自身との「あいだ」にさえ横たわる「わからなさ」は、愛を隔て、妨害するのではなく、むしろ、愛に欠かすことのできないエッセンスなのではないか…。ぼく流のダジャレで言えば、「あいだは愛だ」というわけである。コミュニティでも、同じように、「人と人の違いがぶつかったとき、話し合いではなく、まなざしと配慮と余白のある対応でほどいていく」。この戸谷さんの言葉に、ぼくは、ようやく日本にしっかりと根づきつつある愛の哲学を見出す。
読者としてのぼくが最も強く心を打たれたのは、「私がこの世界を信じる」以前に「世界のほうが私を信じている」、という著者の言葉だ。「私」とは、近代的な個人主義の礎である「完結した個」として存在するのではなく、「むしろ他者や世界との関係性のなかで初めて姿を現すものではないか」、と戸谷さんは言う。世界との関係性の中から「私」が現れてくるのを彼はウェル洋光台という場に参与しつつ、見守ってきた。「場がどう在ろうとしているのかに静かに耳を澄ませること」。それは戸谷さん流の人類学的フィールドワークだ。
戸谷さんは、こんな言い方をして、ぼくを驚かせる。「狩猟採集民が森に向きあうように、この家を扱いたい」。何百年、何千年と森に生きてきた人々は、戸谷さんによれば、「森がどのように生き、どのように育とうとしているのかに耳を澄ませる」すべを知っている。同じように私たちもまた、自分が生きている場そのものを、まるでそれが生きているかのように扱うとき、「場が持つ静かな声が聞こえて」くるのだろう。「私たち自身の願いや思考をそっと超えて響く微かな気配」を聞き取る姿勢を戸谷さんは大切にしたいと思う。
現代世界の危機は急速に深まっている。人と人との、人と自然との「分離」という近代的マインドセットにはまり込んだ末に、ぼくたちは追い詰められている。『未解決のまま、共にいる』が直接それに言及することはない。でもぼくには、戸谷さんが地球という場から、社会という場から、日々発せられる悲痛な声に、人一倍心を痛めながらも、絶望の闇を照らす小さな希望の光を灯し続けようとしているのが、この本から感じとれる。
ウェル洋光台という家こそ、戸谷さんにとってのその希望の光だ。「懐かしい未来」という、ぼくも長年大切にしてきた言葉を使って、戸谷さんはこう言っている。
「問いと営みの先に、どんな懐かしい未来があるのかを、この家を通じて探ってみたい。そう願ったのです」
そして、この家で彼が見出してきた「懐かしい未来」は、実はこの世界のあちこちに芽生えている。それは例えば、「効率や生産性だけでは測れない、暮らしや関係の手ざわりを取り戻そうとする動き」として現れている、と戸谷さんは感じる。そして言う。「人間は、この数千年で築いてきた文明という旅路の先で、もう一度『種としての記憶』に還ろうとしているのではないか」と。
だから、あきらめてはいけない。ぼくたち一人ひとりが願い、祈ることの力を過小評価してはいけない。戸谷さんの次の言葉は、読者であるあなたを、ぼくを、優しく励まし、支えてくれる。
「何を願うかによって、私たちが生きる世界は少しずつ、けれど確かに変化していきます。だからこそ、一人ひとりが『何を願うか』はとても大切なことです」
『未解決のまま、共にいる』に挙げられた次の六項目は、人類としてかつてない試練のときを迎えたぼくたちが、危機の只中にあっても、日々、心の平穏と生きる喜びを手放さずに生きていくための備忘録、To-Do List ならぬTo-Be Listだ。いや、それにしてはあまりに詩的で美しい。それをプリントして壁に貼っておこうか。いや、マントラとして時々唱えるのもいい…。
わからないことをそのまま大切に抱えること
場がどう在ろうとしているのかに静かに耳を澄ませること
言葉にならない感覚や沈黙を丁寧に守り続けること
季節の花をそっと飾ったり、椅子を静かに並べ直したりといった小さな配慮で、
場の雰囲気を穏やかに整えること
場の輪郭を静かに調整し、内側のやわらかな空気を守ること
日々のささやかな手仕事を祈りのように繰り返し、言葉にならない美しさを場に保つこと

人と人が一緒に暮らすということは、本当は容易ではありません。私たちが、それを大変と思っていないのは、どこかに強制を入れてしまうと、共生が簡単にできてしまうからです。
「一人ひとりが全体性を発揮できる状態で、なおかつ楽しく共生できないだろうか?」
その苦闘の歴史がこの本に込められています。多くのコミュニティで参考になるでしょう。
ー 天外伺朗(元ソニー上席常務/工学博士/天外塾主宰)
more
人と人が一緒に暮らすということは、本当は容易ではありません。
アジア学院という、いろいろな国の人々に有機農業を教えているキリスト教系の教育機関では次のような標語を掲げています。
That, we may live together!
・・・should でもなく must でもなく、may が使われていることにご注目ください。
「人と人が一緒に暮らすということは簡単なことではない。でも私たちは、ひょっとするとそれが出来るかもしれない。希望を持って、それにチャレンジしようではないか!」
・・・というニュアンスが感じられます。
私たちが、それを大変と思っていないのは、どこかに強制を入れてしまうと、共生が簡単にできてしまうからです。階層的にいうと:
アンバーというのは、依存が残った状態なので、「リーダーに従え」、という強制が入ります。
オレンジというのは、合理性を重んじるので、がんじがらめに規則を作り、その強制力で共生を実現します。
グリーンというのは、争いを嫌いますので、「仲良くしなければいけない」という暗黙の強制力で皆を縛ります。
・・・これらは、いずれも集団にあわせて自らを制限することによって、つまり一人ひとりは全体性を発揮できない状態で、窮屈な思いをして、共生を実現しているのです。
「一人ひとりが全体性を発揮できる状態で、なおかつ楽しく共生できないだろうか?」
・・・それが、戸谷浩隆さんの挑戦です。
その苦闘の歴史がこの本に込められています。
多くのコミュニティに参考になるでしょう。

この本は、戸谷さんがこれまで歩まれてきた道のりを、ゆらぎや葛藤までも誠実に言葉にしてくださった一冊です。ページを開いた瞬間から私自身の嘆きや揺れがやさしくそしてあたたかく受けとめられたような感覚に包まれ、深い共鳴とともに涙が止まりませんでした。人と人とのあいだで揺らぎながらもつながりを諦めずに生きようとするすべての方に届けたい──そんな心からのギフトのような本です。この本を世に送り出してくださったことに、心より感謝いたします。
ー 小川美農里(ダーナビレッジ/チャルジョウ西会津農場代表)

人は愛や繋がりを求めながら、同時にそれらを失うことを恐れています。本書は、その矛盾(二律背反)を、無理に解決せずに、未解決のまま共にいるための、心のあり方や世界の見方、愛し愛されるための技術をやさしく伝えてくれます。コミュニティでの暮らしに憧れと葛藤を抱えている人、人との関わりを諦めかけている人に贈る必読書です。
ー 吉武大輔(俵山ビレッジ/作家)
more
横浜で20年の歴史を積み重ねてきた「ウェル洋光台」の戸谷さんの書籍が出版されます。
ㅤㅤ人は愛や繋がりを求めながら、同時にそれらを失うことを恐れています。
ㅤ戸谷さんの本は、その矛盾を、無理に解決せずに、未解決のまま共にいるための、心のあり方や世界の見方、愛し愛されるための技術をやさしく伝えてくれます。
ㅤコミュニティでの暮らしに憧れや葛藤を抱えている人、人との関わりを諦めかけている人に贈る必読書です。
ㅤ自分がシェアハウスを始めたのが2008年。
ㅤこの18年間ずっとコミュニティに生きてきて、「本当にそうだな。そうなるよね。そうありたいな」と思うことが凝縮された一冊です。
ㅤわしが共鳴した箇所をこちらに引用させていただきますので、是非、先行予約にお申し込み下さい。(引用が多過ぎますが、そのくらい響きました)
ㅤ戸谷さん、おめでとうございます。
愛を信じ、愛を生き、愛の上に家を建てる戸谷さんを尊敬します。
=============
人との関係は、不完全で、未熟で、面倒で、痛みを伴う。けれど、そのなかにしか、心の深いところから動かされる瞬間はないのではないでしょうか。面倒を共にするからこそ、小さな愛が生まれる場がひらかれていく。私は、そんな関係の場に、立ち会い続けていたいと思うのです。(p.15)
ㅤ
私は、問題だらけのなかにある豊かさをずっと伝えようとしてきました。暮らしを共にするというのは、そういうものなのです。問題のない家族、不器用さのない家族があるでしょうか。仲のよい家族ほど、問題がよく見える。問題が見えない関係こそ、どこかで誰かが感じることを諦めているのかもしれません。(p.23-24)
ㅤ
何かが足りなかったと感じたことも、誰かに怒りや失望を抱いたことも、うまく言葉にできないまま、すれ違っていった時間も、全部を含めて、この家はいまここにあります。振り返ればいつの日もーこの家は、たしかに愛の場所でした。未完成で、不器用で、問題だらけで、傷だらけだったけれど、それでも、間違いなく、愛おしい日々だったのだと。(p.26)
ㅤ
愛について語ることそのものが、私たち自身や関係性に影響を与えてしまう。ーそのような危険性を理解した上で、それでもなお、あえて愛について語る一歩を踏み出したいのです。(p.33)
ㅤ
「与える勇気」だけを称える文化では、勇気を出せない人が疎外され、居場所を失ってしまいます。しかし、「受け取る勇気」が大切にされる文化では、まだ勇気を出せず揺れている人を静かに受けとめ、問いや揺らぎをそのまま許容する空気が育まれます。愛を育む空気感は、誰かが勇気を出して与えることではなく、むしろ誰かが勇気を出して静かに受け取った瞬間から、そっと醸成されていくものなのです。(p.43)
ㅤ
信頼ー世界や他者、そして自分自身が、すでに存在そのものとして受け入れられているという感覚に根ざすこと。言葉になる前の気配にそっと身を委ね、根源的なつながりを信じること。それは、世界の善意を信じて、「いのちの声に身を委ねる勇気」でもあり、一人ひとりの感覚が響きあいながら「痛みと喜びを分かちあい、世界に応答する行為」でもあります。(p.45)
ㅤ
愛とは、「相手がその人であることを許し、自分が自分であることに立ち返る」ことです。(p.49)
ㅤ
人によって、心が動くものが違う。誰かにとってはただの行為でも、別の誰かにとっては忘れがたいギフトになる。その違いこそが、共同体に息づく贈り物の多様性なのです。その多くは、名前も残らず、言葉にもならない。私たちは、つい「目に見える貢献」や「わかりやすい配慮」を重視しがちです。でも、共同体において本当に大切なものは、誰にも評価されない、目に見えない営みによって支えられていることが多いのです。(p.56)
ㅤ
ありのままを活かしあうとは、お互いの不完全さを、重荷ではなく贈り物として差し出し合うこと。そして、未熟なまま、迷惑をかけあいながらも、なお共に生きていこうとする勇気を持ち続けることです。(p.80)
ㅤ
もし、人が共同体の共通のものの見方や言語を超えて、共同体や自らのなかにある、いのちの声をそのまま敬うことができたならー共同体という器は、私たちが互いに痛みと喜びを分かちあい、共同体を通じて、この世界を深く認識していくために不可欠な媒介となるでしょう。個々の目覚めや体とのつながりではなく、共同体の関係性の質感そのものにも耳を澄ますことで。(p.101)
ㅤ
私たちは、誰もが未熟なままにこの世界へ生まれてきます。泣き声しか持たず、身を守る術もなく、ただそこにあるだけの小さな存在。けれどその私を、誰かが両腕で受けとめ、あやし、眠ることを許してくれました。目には見えずとも、誰かが私を生かそうとしてくれていた。その気配を、私たちは深く覚えています。「世界は、私を生かそうとしていた。私は、この世界にいていいのだ」そんな理由なき安堵が、名もなき記憶として私たちの奥底に降り積もり、やがて「この世界を信じてよい」という静かな確信へと育っていくのです。(p.109)
ㅤ
矛盾しているままにあること。それは無力さではありません。決めつけず、正そうとせず、それでもその場にとどまり続ける態度。それは、自分に対するもっとも静かで深い敬意なのかもしれません。なぜなら、相反する強い気持ちが心の中で常に同居している矛盾した存在が、人の心の健全な本性そのものだからです。(中略) 私たちが心の揺れを抱きしめることができたとき、そのままの自分で、誰かと「共にある」ことができるようになるのです。自分の未熟さを恥じることなく、他者の矛盾を恐れず、わかりあえなさのままに、同じ場所にとどまることができるのです。葛藤にとどまる勇気、それは、「今ここ」に一緒にいるという選択の美しい証なのです。(p.115)
ㅤ
「受け取る」ということは、自分自身を無防備に開くことを意味します。相手の気持ちや場の空気をそのまま受けとめることは、ときに自分自身が予想しない痛みや揺らぎを伴うことがあります。それでも、私たちがエルダーシップとしてこの態度を大切にするのは、それが場の質感を深く感じ取り、関係性そのものを豊かに耕すからです。誰かが問題を抱えているとき、無理に解消しようとしないこと。むしろ、そこにある問いや困りごと、嘆きをそのまま受け取ります。沈黙を守り、共に迷いながら、場の緊張がゆるやかに溶けていくことを見守ること。そうすることで、場に自然な生命の流れが生まれ、多様な関係性の豊かな調和がもたらされるのです。(p.143)
ㅤ
場をあたかも「いのち」のように扱うとき、場が持つ静かな声が聞こえてきます。場が喜んでいるように感じられたり、場が悲しんでいるように感じられたり。その感覚は、一人ひとり異なりますが、その感覚を読み取って統合していくことは、場がどう在ろうとしているかについての気づきを与えてくれます。それは特定の誰かの言葉ではなく、そこに集う人々の心の奥に流れている微かな願いや、場そのものが長い時間をかけて培ってきた記憶や気配です。(p.156)ㅤ
無償で差し出した贈り物が返ってこなかった痛みも、誰かとの深いつながりが終わる恐れも、ありのままでいることと変化することとの葛藤も、目的やルールを持つことと揺れるプロセスを抱え続けることとの矛盾も、委ねることの怖さも、信じられないことの苦しみもーそのすべての揺れが、私たちが人として成熟するために欠かせないプロセスなのです。そして何より、この揺れや問いを抱え続けること自体にこそ、私たちの希望があります。問いを抱えるということは、私たちがまだ諦めていないということです。まだこの世界や人を愛することを信じているということです。(p.208)

私は医療の世界でケアやスピリチュアルケアの実践や教育に関心を持ってきた医師であり、戸谷さんと分野は違っていても、この実践哲学に深く共鳴しています。今、医療やケアの領域において、ネガティブ・ケイパビリティの重要性が注目されています。医療やケアの分野で、よりよき医療の実践を目指す人にも、本書を是非読んでいただきたいと思います。
ー 加藤眞三(慶應義塾大学名誉教授/上智大学グリーフケア研究所客員研究員/エムオーエー高輪クリニック院長)
more
本書は、多世代シェアハウス洋光台の大家を長年にわたってつとめてこられた戸谷浩隆さんの「未解決のまま、共にいる」哲学の実践の記録です。わたしは医療の世界でケアやスピリチュアルケアの実践や教育に関心を持ってきた医師であり戸谷さんと分野は違っていても、この実践哲学に深く共鳴しています。
今、医療やケアの領域において、「未解決のまま、共にいる」力、すなわちネガティブ・ケイパビリティの重要性が注目されています。不確実さ・曖昧さ・未解決な状態の中に、性急に答えを求めずに、そこに留まるための力の大切さが認識されてきたのです。
現代社会では、正解を早く出すこと、問題をすぐに解決することが求められがちです。しかし、人間の苦悩や人生の意味は、すぐに答えが出ない、一義的には決められないという性質を持っています。そこにネガティブ・ケイパビリティが必要とされるのです。なぜなら、結論を急がないことによって、より本質的な理解に到ることがあるからです。
医療において、どのようにネガティブ・ケイパビリティは生かされるのでしょうか?
たとえば、診断の不確実性に耐えること。初期には診断が確定しない状態で、経過観察が必要な場合もあります。そこで焦って診断を決めてしまうことが誤診につながります。また、がん患者の余命告知などとよくいわれますが、本当は人の余命など解りようがないのです。ですから、余命告知を求められても解らないといえる勇気が必要とされるのです。
患者さんの語りを傾聴するとき、それは、しばしば矛盾していたり、曖昧であったり、さまざまな感情が入り混じっていることがあります。その時に、それを一刀両断に整理してしまうのではなく、そのままに受けとめて聴く力が求められるのです。実は、そのような傾聴がスピリチュアルケアの核心になるのです。
世界的なベストセラーとして知られる「夜と霧」の著者、ヴィクトール・フランクルは、「人生の意味は問いに対する応答として現れる。すぐに答えが与えられるものではない」と述べています。ネガティブ・ケイパビリティは、意味が現れるまで待つことのできる力とも言うことができます。その実践には、自己の不安に気づく力 沈黙に耐える力、相手にコントロールを及ぼさない態度が必要となります。これは単なる技術ではなく人格的成熟・存在のあり方に関わることです。
このように、医療やケアの分野でネガティブケイパビリティはと大変重要なテーマではあるのですが、実際にそれを伝えること育むことはとても難しいことです。わたしは戸谷さんの活動の中に、ネガティブケイパビリティを育むためのヒントがたくさん詰まっていると信じます。医療やケアの分野で、よりよき医療の実践を目指す人にも、本書を是非読んでいただきたいと思います。

私が長年探求してきた「なぜ硬直化した組織文化は変わらないのか」という問いへの
答えが、この書籍の中に静かに息づいていることに気づかされました。現代の組織変革に携わるすべてのリーダーに、この深い実践知を心から推薦いたします。そして、あなたの日常にも「そっと生まれるもの」への気づきが育まれることを願っています。
ー 鹿嶋康由(トヨタ自動車DXアドバイザー/筑波大学大学院非常勤講師)
more
本書『暮らしのなかで、そっと生まれるもの』は、偶然の出会いから必然の学びへと導かれた、深い実践知が詰まった一冊です。
2025年の「コミュニティーを深堀りするフォーラム」で著者の戸谷浩隆氏と出会った瞬間、私たちは互いの話に引き込まれていきました。実家の近くが洋光台という地政学的なご縁、梅農家のむーさんや鎌倉の上岡さんという共通の友人——これらの「そっと生まれるつながり」こそが、まさに本書が描く文化の本質そのものでした。
私自身、トヨタ自動車での1200人規模の「マネジメント3.0」体験導入や、スイス・ジュネーブでの組織変革の挑戦を通じて、制度やルールによる表面的な変革の限界を身をもって体験してきました。しかし、戸谷さんとの対話を重ねるうちに、私が長年探求してきた「なぜ硬直化した組織文化は変わらないのか」という問いへの答えが、この書籍の中に静かに息づいていることに気づかされました。
本書が提唱する「佇まい(たたずまい)」の概念は、私の組織変革への理解を根本から変えました。単なる知識やスキルの習得ではなく、その人の存在感や雰囲気そのものが変わることで、組織の文化が自然に変容していく——この洞察は、私が体験型リーダーシップ開発で重視してきた「手放し」の感覚や、東洋思想の「徳」の概念とも深く共鳴します。
実際に、この書籍の影響を受けて私は「佇まい(たたずまい)」研究家を名乗り始めました。それは、戸谷さんが20年にわたるウェル洋光台での実践を通じて示してくれた、存在そのものが場に与える影響の深さに感銘を受けたからです。
本書が描く「鏡合わせの原理」や「空気感」への注目は、私が提唱する「笑いからの成長人づくり」や「心理的安全性の高い場づくり」の理論的背景を明確にしてくれました。従来の「ビヘイビアチェンジ(行動変容)」を超えた、より深い次元での意識変革——これこそが、VUCA時代に求められる組織の複雑性適応力の核心なのです。
特に印象深いのは、「問いを抱き続ける勇気」や「未熟さを許容する文化」という視点です。私がオランダで学んだ「ゲームで学ぶ」メソッドや、自然体験を通じた体験型学習の本質が、この書籍の実践の中に生きた形で表現されています。
戸谷さんとの出会いは、まさに本書が語る「暮らしのなかで、そっと生まれるもの」の実例でした。計画されたものではなく、自然に育まれたご縁の中から、新しい学びと変容が生まれる——この体験こそが、この書籍の真の価値を物語っています。
現代の組織変革に携わるすべてのリーダーに、この深い実践知を心から推薦いたします。そして、あなたの日常にも「そっと生まれるもの」への気づきが育まれることを願っています。

僕は、この本は現代版の聖書だと思いました。自戒の念、神の愛、将来への希望、そして、色々なことができないダメな自分への「赦し」。深くうなずきながら、涙を流しながら読みました。 ツラかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、感動したことが、ありありとした記憶や感情として湧き起こりました。無数のできごとの中から、戸谷さんのあり方、ふるまい方が伝わってきて、尊敬する気持ちと、こんなもんでいいよねという嬉しい気持ちがこみあげてきました。
ー あらいきよてる(株式会社ここくらす代表/「しぇあひるずヨコハマ」)
more
深くうなずきながら、涙を流しながら読みました。
ツラかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、感動したことが、ありありとした記憶や感情として湧き起こりました。
ひるずでの生活だけでなく、大学1年の頃に聴講していた渡辺和子先生のお話のことが懐かしく思い出されます。「愛するということ」「夜と霧」。人間らしく生きることの本質。愛は学ぶことができるというあの時の衝撃。
自分には受け取る能力が弱いのかも、という気づき。読んでいて元気や幸せをもらうことともあれば、できていない自分への反省、自己嫌悪も伴ってくる。
しかし、ダメな自分というのは、こうあるべき理想の自分に照らし合わせての期待値を満たさない自分のことで、そういう自意識が他者に向けられたときに理想から遠のいていくことへの負の感情がおこっていくことを感じました。
ルールを決めても完全に守れない。細かいイレギュラーとの衝突。大きな課題を消すための改善策が、新たな小さな複数の課題を生む。シェアハウスあるある。
「全てのビジネスは課題解決である」という言葉が示すように、不動産賃貸(管理)業は、紛れもないビジネスであり、管理運営上の課題を解決することは、事業者としてやらなくてはいけない重大な責任である、と。
先日、大家の学校のイベントの中で、とある大家仲間から、住民兼運営アドバイザーの人からもっと理想のためにリーダーシップを果たしてほしいと要望され、深く悩んでいたことが頭をよぎりました。
求められていたのはエルダーシップだったなと。そういうアドバイス(解決策提示)をしてしまうのは、余計なお世話なのかという自問自答。
課題は解決しない。悩む。迷う。でもウェル洋光台もそう。
人とのコミュニケーションがうまくとれないのは、相手ではなく自分の中の何かではないか。
対話、観察、静観、受容、感謝は?
それができていない自分を責めていないか?
自分も、発達障害と診断されました。
ペンギンは鳥なのに空を飛べないが、それは障害ではなく特性。
空を飛べないことを責めるのではなく、自由に海を泳がせてあげればいいのだという解放感。
ありのままの他者を受容できることは、ありのままの自分を受容することから始まる。
ビジネスの前に、同じ人間として、ただ生きること。
ウェル洋光台の無数のできごとの中から、戸谷さんのあり方、ふるまい方が伝わってきて
尊敬する気持ちと、こんなもんでいいよねという嬉しい気持ちがこみあげてきました。
不器用で、時に生々しい、愛しき共同生活。
1歳を迎えたはじめての誕生日のお祝いも、結婚式も、お葬式も、ひるずが経験したことは全部が宝物でした。
いろいろ問題を抱えていた住民(叔父)が、実は誰よりもひるずでの暮らしを愛してくれたこと。たくさんのお花と友人の方の楽しい昔話、感謝をこめて歌った讃美歌が包まれた「お別れの会」。
これが、今までひるずを運営してきて一番報われた瞬間だったかもしれません。
2016年、すでに工事見積段階だったシェアハウス構想の相談を、ペアレンティングホーム大家の長嶺さんにしたとき、「多世代型のシェアハウスは無理だと思います。ウェル洋光台?あれは奇跡。」 とキッパリ実現を否定されました。
あれから10年経ちますが、そうした理想のシェアハウスがほとんど増えていないことがその難しさを表していると痛感します。おそらく、うちに相談しにきた「多世代シェアハウスやりたい人」にも、長嶺さんと同じように、ウェル洋光台は奇跡だというと思います。
僕は、この本は現代版の聖書だと思いました。
自戒の念、神の愛、将来への希望、そして、この本から僕が最も受け取ったメッセージ。
それは、色々なことができないダメな自分への「赦し」です。
イエスがおこなった奇跡というのは、おそらく、弱い人と一緒に、ただ「ともにいる」だけだったのだと、最近よく思うようになりました。
伝染病は防げないし、何千年と続くイスラエルの戦争も永遠に終わらない。
そんな未解決だらけの世の中にあって、ともにいることこそ、本質的であまりに尊い。
新約聖書の最後の方に「ウェル洋光台の住民への手紙」として、書いてあっても良さそうです。
僕は戸谷さんのような器の広い人間になれないし、なれないことを残念に思わなくてよいのだと、赦せるようになりました。
神様から与えられたタラントは皆それぞれ。
家族や今のハウスメイトの皆さんに支えられて暮らしている。
それだけで有難いと感じました。
これからも、ここにいさせてください。
ありがとうございました。

非常に詩的な優しい言葉でつづられていて、人の気持ちを動かすとても素敵な本です。多くの人の救いになるのではないでしょうか。
一方、それと同時に、とても興味深い実践の書であり、素敵な話だけでは終わらない骨太の一貫した構造があるなと感じました。
ー 野々垣直浩(日系企業のAI研究開発部長/のの式 本のあいだラボ)
more
非常に詩的な優しい言葉でつづられていて、人の気持ちを動かすとても素敵な本です。多くの人の救いになるのではないでしょうか。 一方、それと同時に、とても興味深い実践の書であり、素敵な話だけでは終わらない骨太の一貫した構造があるなと感じました。 自分自身、職場でマネジメントを預かる中で、人が同じものを見ても同じように感じているわけではないという、言葉にすると当たり前のことに何度も直面してきました。 人というのは似ているようでいて実はとても違う。そんな「人」が一緒に暮らす場所で、「サービスなし、役割なし」の共同体であるウェル洋光台が20年ものあいだ維持されてきたこと。それは単に心温まるエピソードの集積ではなく、揺らぎながらも豊かに存続してきた一つの"システム"の記録として、とても興味深く読みました。 2020年代、企業社会では「目的」「目標」や論理思考が信奉され、私生活にもコスパやタイパが浸透しています。一方でメディアには「なりたい自分」「理想の自分」といった分かりやすい物語が空気のように満ちています。そうした中で、この本の主題——「未解決のまま共にいる」は、そのどちらとも異なる知恵が、ウェル洋光台という実践の中で言葉として結晶化したものだと感じました。 互いに分からないことを前提に、理解をすることを諦めないが、相手のことを分かったと思わない。そういう誠実さは、「共感」や「配慮」、「普通」や「正しさ」が蔓延する社会で生きる時の一つの免疫であり、防壁でもあり、大切な人達と一緒にいるための手がかりとなりうると思いました。 未解決は欠如を表し、人がそれらを回復することに執着するのが典型的な物語のプロットです。ここで、あえて未解決のまま共にいるということは、今の充足を感じ、未解決であることを「余白」として捉え、他者との境界を柔らかくたもつことが鍵だろうと思うとともに、それもまた未解決だなと思います。 著者の戸谷さんが書こうとしたことと、私が感想として受け取ったこともちがうかもしれません。そして、おそらくこの本を読んだ方の多くは私とちがう読み方をしているでしょう。ぜひみなさんもお手に取ってどう感じるか、どう考えるか考え始めるきっかけになればと思います。
推薦のことばの続きを読む
電車の中で読んでて泣きました。ここまでの葛藤やあがき、未熟な不安を抱えながら取り組んできたことが、救われるような感覚でした。コミュニティにおける未熟な自分の不器用なあがき、そして失敗しながら、時に傷つき、また人を不本意にも傷つけてしまう中で、それでもコミュニティを信じて諦めず歩んで来たことが、やさしく受け止められたような感覚になりました。それぞれの在り方に1つの光を灯してくれる、愛と祈りの本。
ー 石井光(ちっちゃい辻堂 大家)
戸谷さんの静かな優しさ、信頼、喜びがやさしく美しく繊細で知的な言葉から繰り返し、繰り返し伝わって来ました。この静かで深いメッセージが大勢の必要としている人の元に届くことを願っています。
ー 三木卓(元講談社編集者/Oshoの弟子/ACIM学習者)
問題を性急に解決せずに、「困ったね」「話そうか」と言える関係を私たちはどれだけ作れているだろう。この本を読みながら、私は友人たちとの間で起きたあるトラブルを思い出していた。場で自分を開け渡すことは難しい。だけどお互い様の気持ちで、自分の思いを差し出すことができる場は、それだけで慰めになるはずだ。家族関係、友達関係、会社のチームなど、近いからこそ悩ましい人間関係をどう抱えていけばいいかで苦しんでいる人におすすめの1冊です。
ー 滝和子(あまやどり出版主催/編集者/ライター)
私がウェル洋光台に住んでいたとある日、とても悲しいことがありました。抜け殻のような体でふらふらとたどり着いた部屋の扉。目線を落とすと、そっと置いてある住人からのお手紙とおにぎり。状況は何一つ変わってはいないけれど、今はこのあたたかさがあればもう大丈夫だ、もっとみんなと共に生きたい、そう思いました。読めば読むほど、あの優しくて苦しくて愛おしい日々のことが私の元に帰ってきたような感覚になりました。またウェルに帰るね、いつも見守ってくれてありがとう。さみしくて悲しい夜を過ごしているあなたへ。みんなから日々受け取っていた愛を思い出して、もっと生きたいと思わせてくれる、そんなギフトになるはずです。
ー 石川峻(コアキナイゼミ代表/森みたいな株式会社/ウェル洋光台元住人)
『未解決のまま、共にいる』を読んで、戸谷さんは旅人だと感じました。これは物理的な移動の問題ではありません。「愛とは?」「共にいるとは?」と言った問いを問いとして未解決のまま抱え、目の前の事象から試作を深めていく。その姿勢は旅人そのものです。テーマも決まっていないまま、旅に放り出された私にとって、その深さを持った旅の先達に会えたことが最大の収穫でした。他者の深い言葉が養生になるタイプの人にプレゼントしたいです。
ー 匿名(国際基督教大学卒業生/20代女性)
高校生の息子が、問題行動を起こして、生活が荒れていました。そうした時にこの本を開いてみると、「その時息子とどのように向き合ったら良いか」必要と思うことが書いてありました。戸谷さん自身がウェルでずっと人に向き合い、自分に向き合ってきたその歩みであり、本気で人を見てきたからこそのものだなと感じました。ありがとうございます。
ー 匿名(学校法人職員/40代)
著者プロフィール

戸谷浩隆(とや・ひろたか)
1977年横浜生まれ。神奈川県横浜市在住。
多世代シェアハウス「ウェル洋光台」の大家で、二人の娘の父。妻を含めた家族四人で、ウェル洋光台で暮らす。父方の祖父母と妹を含めた六人家族で育つ。多くのコミュニティ運営者と同様、発達障害的傾向に苦労した腕白な子ども時代を過ごした。国際基督教大学教養学部を卒業後、東京工業大学理工学研究科修士課程に進学し、数学(幾何学)を専攻。大学院修了後、大手電機メーカーに入社し、翌年研究部門に配属。以来一貫してソフトウェア工学関連の研究開発業務に携わっている。2006年11月に開業したウェル洋光台に、翌年3月に住人として入居し、ウェル洋光台で出会った妻と結婚。2009年に一度卒業するが、2013年に運営難を機に家族と共に再入居し、再生を手がける。パーマカルチャーやティール組織の思想を取り入れた、「ギフト」で成り立つ暮らしの実践は、NHKドキュメンタリーや全国誌などでも紹介されている。日々の暮らしの中にある祈りと、「共に生きること」の豊かさ、矛盾を抱えた人間同士が抱える面倒さの中にふと訪れる恵みへの驚きは今も尽きることがない。
※本の感想や応援メッセージは著者のFacebook(hirotaka.toya.jpn)まで気軽に寄せてもらえたら嬉しいです。














































